つれてかえりたい


 生存確認にというわけでもないけど、なんとなく誰かいるかな、と思いながら応接室のドアを開けると、めずらしくアルが一人でソファに座っていた。
「あ、お邪魔します」
「うん。どうしたんだい?」
 ティーカップを置いてアルが微笑む。うーん、本当にいつ見ても同じ世界の人間とは思えない。
「誰かいるかなーと思って。ちょっとのぞいただけだよ」
 一応全員食事に出たっていうのはさっき執事さんに聞いたし。
 どうしようかな、とドアの前に立っていると、アルが立ち上がってティーカップの用意を始めた。
「座りなよ。和も飲むだろう?」
「えっ!? あっ、いいよ! そんなっ」
 ポットを持ち上げようとするアルを慌てて止める。執事さんたちに淹れてもらうのも緊張するのに、アルにだなんて、そんな、恐れ多い!
「すぐに行ってしまうのかい? ちょうど話し相手がほしかったんだけど」
 ・・・・・・そんなこと言われたら行くわけにはいかないじゃないか。この笑顔はずるい。
「あの、じゃあ僕、自分で淹れるから・・・・・・」
「和はお客様じゃないか。僕が淹れるよ」
 今度はポットを持とうとする僕が止められてしまった。いや、でも、ここで譲ってしまうと後で執事さんが怖いような・・・・・・。
「あ、あの・・・・・・そっ、そう! 実は僕自分で紅茶淹れてみたかったんだ!」
 ああああ、なんなんだよこの解決策は。アルが目を丸くしている……。そんな顔しないでよ・・・・・・、自分でも驚いて・・・呆れてるんだから。
「・・・ふふっ、それじゃあ和におまかせしようかな」
 そ、そんな満面の笑顔で言わなくても・・・・・・。
 赤面しながらもちょっとほっとして紅茶の用意を始める。・・・・・・始める。
 ・・・・・・・・・な、何これ。全然淹れ方がわからないんだけど・・・・・・。
 ちらっとアルのほうを見ると、にこにこしながら僕の手元ながめていた。い、今さら「どう淹れるんですか」なんて聞けない・・・・・・。
 ど、どうしよう。えーと・・・、この、葉っぱを入れるのかな・・・。あ、お湯が先かも・・・・・・。・・・前においしい日本茶の淹れ方を教えてもらったけど、全然役にたたないじゃないか! 日織のやつっ!
 日織に八つ当たりしつつ泣きそうになりながらまごついていると、勢いよく応接室のドアが開いた。驚いてポットを落としそうになって、危ないところでなんとか受け止めた。二重のびっくりに心臓がばくばくいっているのが聞こえる。
「そろそろ王子が二杯目の紅茶をたしなむころだと執事さんに言われたので、中居、出動しましたっ! って、あれ? 和ちゃん? 何してるんですかー?」
「ち、千絵子さん・・・」
 執事さんじゃないけど、ノックはして・・・・・・。
「あ、もしかして和ちゃんも飲むん? もー、だめじゃないですか王子ー。和ちゃんにまかせるならカップの一つや二つは諦める覚悟がないと。はいはい、中居が淹れるから、座っててくださーい!」
 さっさとソファに座らされてしまった。ぼ、僕そんなに危なっかしいかなあ。アルと顔を見合せて苦笑いする。・・・・・・僕は執事さんの勘の良さにも、だけど。
 なんとなく千絵子さんの手元を見ていると、慣れた手つきでお茶の用意をしている。千絵子さんって、そそっかしいようで仕事はちゃんとできる人だよなあ・・・・・・。
 そんなことをぼーっと考えていると、千絵子さんが僕とアルの前に淹れたての紅茶をおいてくれた。一通りの準備が終わるとアルの後ろで待機している。やっぱり、アルのそばに誰かいないと不安なのかな。
 香りの良い紅茶を一口飲みながら、向かいに座るアルを見る。紅茶を飲む姿も様になってるなあ。改めてじろじろ見ていると目が合ってしまい、首をかしげながら笑いかけられる。特に用があって見ていたわけじゃないんだけど・・・どうしよう。・・・・・・そうだ、この間見つけたものについてアルに聞いてみようかな。
「ねえ、和」
「んっ? え、あ、何?」
 話しかけられる前に話しかけられてしまった。まあ、いいや。アルから僕に話ってなんだろう。
「もえ、ってなんだい?」
「・・・・・・・・・は?」
 口に運びかけたカップが止まる。もし口に紅茶を含んでいたらふきだしていたかもしれない。
 何故か辺りを見回してしまう。まあ何故かっていうか・・・執事さんがいないか、なんだけど・・・・・・。
「ほら、この間話していて、ディーターに止められちゃったやつなんだけど」
「あ、うん。何のことかはわかるよ。わかるけど・・・・・・」
 ・・・これは教えちゃだめだよな。絶対後で執事さんに怒られるし、僕自身もアルは知らない方がいいと思う・・・っていうか知ってちゃいけないと思う。
「え、えーとね、それは・・・・・・」
「萌えっていうのはですねー」
 い、いけない! この場に一番いたらいけない人がいたっ! せっかく僕がなんとかごまかそうとしてるのに、喜々として説明しようとしてるよっ!
「千絵子さんっ! だめだよっ!」
「えー、でも王子も知りたがってるじゃないですかー。それに今の日本を説明するには欠かせない文化の代表ですよ」
「そうかもしれないけど・・・って嫌だよ! そんな代表! ほ、他にもあるじゃないか、お寺とか神社とか山とか!」
「お寺や神社や山は見たことがあるけど、もえっていうのは見たことがないんだ。どんなものなんだい?」
 ・・・アルは何度も日本に来たことがあるからネリーさんみたいにごまかせないか。ど、どうしよう・・・・・・。
「萌えは物じゃないですよー。んー、なんていうか、気持ちみたいなものかな? あ、でも物で表すとー・・・メイドとか」
「千絵子さんっ!?」
 だ、だめだっ、早くいい方法を考えないと千絵子さんがアルに変な異文化を植え付けてしまうっ!
「メイド? というと・・・千絵子やネリーがもえということかい?」
「アルも聞き返しちゃだめだよっ! し、執事さんにも止められただろっ!?」
「和ちゃんも固いこと言わへんの! 自分も萌えキャラなくせしてー」
「ええっ!?」
 な、何を言い出すんだこの人はっ! メイドや僕が萌えって絶対アルにはわからないじゃないか! ってわかっちゃだめなんだけど!
「和ももえなのかい?」
「ぼ、僕に聞かないでよ! いや違うけど!」
「そうなんですよー。ネリちゃんなんかは正統派メイドで萌えやしー、中居は・・・うん。で、和ちゃんがメイドやったらドジっ子メイド! もうメイド萌えの頂点ですよ!」
「千絵子さんーっ!!」
 もうだめだ、執事さんに怒られるじゃすまない。絶対こ・・・される!
「ふうん?」
 あ、で、でもまだ大丈夫かな? アルはよくわかってないみたいだし! なんとか千絵子さんを止めれば・・・!
「でもでも、王子はメイドや執事は見慣れてるから萌えじゃないかも」
「え? というと、ディーターも本来はもえなのか」
「そうですそうです! さっすが王子! のみこみが早い! そしたら眼鏡っ娘も外せませんよね、クレア先生や教授も萌えになります」
 アルも覚え始めてるし! 千絵子さんももっと濃いものを教えようとしてる! ふ、二人とも止めないと!
「あ、あのねっ、アル!」
「でも、もえというのは気持ちのようなものなんだろう? みんなを見てどう感じたらもえになるんだい?」
 勉強熱心すぎて聞いてない! 千絵子さんもアルに教えられるのが嬉しいのか、僕なんて全然眼中にないよ!
「うーん・・・難しいですねー・・・。そうですね、可愛い〜、とか持って帰りた〜い! って、胸がきゅーんとなったら、それが萌えです!」
 完璧に教えちゃったよ! こうなったらもう、アルが理解しないように祈るしかない・・・・・・!
「・・・千絵子たちやクレア先生が可愛らしいというのはわかるけど、ディーターやヴィンスも・・・・・・? それに、持って帰りたいとも・・・あまり・・・」
 う、うん。確かに困るしかないよね・・・。執事さんや教授が・・・萌えって・・・・・・。
 でもこの調子ならなんとかごまかせそうかもしれない。
「そうですよねー、王子は普段から萌えに恵まれすぎなんですよー。だから萌えに疎いんです! ・・・他に萌えの大御所っていったら・・・・・・ああっ!!」
「ど、どうしたの千絵子さん?」
 突然千絵子さんが大きな声を出した。そして「何でこれを忘れてたんだ」と言いながら大きくうなずいている。・・・・・・嫌な予感がする。
「王子! メイドと並ぶ萌え四天王の一つを忘れてましたよ! 中居としたことが!」
「ち、千絵子さん、もうこれ以上アルに変な知識を増やすのは・・・」
「それはなんだい?」
 ってアルも身を乗り出さない! こうなったら実力行使だ、仕方がないけど千絵子さんの口を押さえようと手をのばす、・・・・・・けど。
「それは・・・・・・日本本来の文化と新たな萌えの文化を併せ持つ・・・・・・巫女です!!」
 ・・・・・・遅かった・・・・・・・・・。
「・・・巫女? というのは・・・・・・」
「はい! 神社でほうきを持って落ち葉を掃いたり、おみくじやお守りをくれたりするあの巫女さんです!」
 もう・・・・・・手遅れだ・・・・・・。・・・・・・執事さんに見つかる前にこっそり逃げよう。
「うん。変わった着物を着ている女の人だよね」
「そうです! あの人たちを見て、何か特別に感じるところはありませんでしたか!?」
「そうだね・・・・・・。たしかに清楚で可愛らしいと思ったし、ああいう日本特有の着物は買って帰りたいと思ったね・・・・・・・・・あ」
 あー・・・、千絵子さんとアルが顔を見合わせている。違うよアル、違うんだ! ・・・つっこみたくて仕方がないけど、ごめん、僕は逃げる・・・・・・!
「それが萌えですよー! 王子は巫女萌えだったんですね!!」
 うわああ、執事さんが聞いたらすごい剣幕で怒りそうなフレーズが出来上がった・・・!
「うん。そうかもしれない。・・・あ、でも僕はどちらかというと着物もえなのかもしれないよ」
「あー、わかります! 和服はなんかいやらしいってやつですね!」
 こ、ここにいちゃだめだ・・・! ここにいたら絶対に巻き込まれる・・・!
「そうなると僕は日織にもえなのかな」
 突然の耳慣れた名前に、やっとドアのそばまでたどり着いた足が止まってしまう。こ、こんな会話の流れの中じゃいやでも反応するよ・・・明らかに浮いてる名前だし。
「でも日織を可愛らしいとは思わないしなあ・・・・・・」
 怖いことを呟いているアルをじっと見ていると、室内が妙な沈黙に包まれているのに気づいた。なんだ・・・? さっきまであれだけ騒がしかったのに・・・・・・。
 そうだ、千絵子さんが静かなんだ。自殺行為としか思えないことを喋っていた千絵子さんが・・・・・・。
 ま、まさか執事さんが来たとか!? ・・・いや、僕はドアの前に立っているんだし、さすがに誰か入ってきたら気づくよ。それなら・・・・・・。
 一瞬ドアのほうを向いた視線をアルに戻すと、何故か目が合った。あれ・・・? さっきまで僕なんていないような勢いだったのに、どうしてだろう。
 さらにゆっくりと千絵子さんを見ると、口を閉ざしてやっぱり僕を見ていた。でも、その、なんで・・・・・・。
 ・・・・・・なんでそんなに笑顔なの?
「和ちゃん・・・・・・」
 じり・・・と千絵子さんがにじり寄ってくる。その笑顔が危険なものだと染みついた防衛反応が告げている。
 千絵子さんが一歩近づくたびに一歩あとずさる。しかし、もともとドアのそばに立っていたのですぐにかかとがドアに触れてしまった。
「和ちゃんって・・・王子の友達ですよね?」
「え・・・あはは、そ、そりゃあ・・・・・・」
 なんで突然そんなことを・・・いや、あの、なんか・・・わかるけど・・・・・・。
「王子のためなら一肌でも二肌でも脱ぎますよね?」
 千絵子さんごしに助けを求めようとアルを見ると、何故か期待に満ちた目で僕たちを見ていた。グルだ・・・・・・、もうこの部屋に味方はいない・・・・・・。
「う、うん・・・僕にできることなら・・・・・・」
 観念してうなずくと、千絵子さんは勢いよく後ろを振り返り、アルと目くばせし合っていた。千絵子さんの表情はわからないけど、アルは満面の笑顔だ。近くにいたら手でもたたき合って喜ぶんじゃないだろうか。
「じゃあ和ちゃん、着物着てきて!」
「え!? そういう話なのっ!?」
 そ、そんな・・・日本に帰ったら変な着物を着た人がいっぱいいるところに連れて行くとか、そういう話なんじゃ・・・・・・。
「そうですよー! 王子は今すぐ着物萌えしたいんです! ほらほら!」
「で、でも! 着物なんて僕持ってないよ!? それに着物なら女の人の千絵子さんが着たほうが・・・!」
 どこかに連れて行こうと僕を押す千絵子さんになんとか抵抗を試みる。そ、そうだ、苦し紛れに言ったことだけど、確かに僕は着物なんて持ってきてないぞ。それにこんな東欧のお城にそうそう着物があるとも思えない。というか萌えがどうこうという話でどうして男の僕が!?
「何言うてんですかー、日織さんの着物がたくさんあるではありませんか! それに日織さんは男性ですし、中居はしがないメイドなのでお客様のものを勝手に着るわけにはまいりません!」
 いや、それでも僕が候補にあがるのっておかしいよ! 仮に僕が着物を着たとして誰が喜ぶの!?
 ・・・でも、内心で予想通りの返事にほっとする。その案には対抗策があるんだ。
「残念だけど、日織のクローゼットは鍵がかかってて開かないんだ。だから・・・」
「・・・いや、ちょっと待ってて」
 それまで成り行きを見守っていたアルが立ち上がり、驚く僕たちを置いて応接室を出て行ってしまった。残された千絵子さんと顔を見合すと、千絵子さんはだんだんと笑顔になってきた。逃げようとする僕をソファに座らせ、鼻歌を歌いながら新しい紅茶を注いでくれる。
 ・・・アル、何しに行ったんだろう。わ、悪いことじゃないよね、たぶん。だってこんなお城に着物なんてあるわけないし、日織だってまだ見つからないんだからクローゼットも開かないし、大丈夫、大丈夫・・・・・・。
 妙な不安を感じながら十分ほど待っていると、静かなノックの後に応接室のドアが開いた。そこには嬉しそうな顔で何かを持ったアルが・・・・・・え・・・?
「それって・・・・・・」
「あれー? 日織さんの着流しじゃないですかー」
 確かにアルが両手に抱えているのは見慣れた日織の着流しだった。でもこれ・・・・・・。
「日織の部屋のクローゼットは・・・」
「あ、うん。あのね・・・あったんだよ。はい、和」
「え? あ・・・え?」
 差し出された着流しを反射的に受け取ってしまう。うん・・・見れば見るほど日織のだ。ってそうじゃなくて。
「これどうして・・・・・・」
「大丈夫、和ちゃんやったら日織さんも怒らないですって! ほら、着てきてください!」
 千絵子さんにさっさと応接室から追い出されてしまった。なんだろう・・・タンスにでも入ってたのか・・・、日織が前に来た時に忘れてったとか? うーん・・・・・・。
 でも、しょうがないや。今さら嫌だなんて言えないし、よく考えたら着物着るだけじゃないか。別にメイド服を着ろと言われたわけじゃないんだし・・・・・・。
 これ、大きいし服の上に着ちゃえばいいよね。
「あ、和ちゃーん。ちゃんと服脱いで着なきゃあかんですよー」
 ・・・千絵子さんが応接室から顔を出して、それだけ言うとすぐに引っ込んだ。心が読めるのかな・・・・・・。


 自分の部屋に戻って、とりあえず初めに服を脱ぐ。勝手に着てごめん・・・と思いながら日織の着流しを羽織ると、懐かしい匂いがした。・・・そばにいるときは匂いなんて感じなかったのにな。
 なんとなく涙ぐみそうになって、ごまかすように慌てて帯を巻く。・・・帯、だいぶ余るなあ。何回も巻いちゃえばいいか。
 日織の家に泊まった時に何度か和服を着せてもらったことがあるから、だいたいの手順はわかる、・・・・・・わかるんだけど。
「大きすぎるよ・・・・・・」
 日織が和服を貸してくれるとき、いつも「小さい頃のですから」と言っていたのを思い出す。・・・本当にかなり小さい頃のだったんだろう。
 自分の腰の位置で帯を巻いたから、足元がだぶだぶだ。これで裾を踏まなかったら奇跡というくらい着流しが床についてしまっている。
 ぐるぐるに巻いた帯をなんとかほどいて、足がでるように調節して巻きなおす。・・・肩の周りが余りすぎて脱げてしまった。どこの将軍様なんだよ僕は・・・・・・。
 何度も着なおしてみるけれど、どうしてもうまくいかない。どこかをちょうどよくすれば必ずどこかが余る。もうどうしたらいいんだよ・・・・・・。
 半泣きでもう一度挑戦しようとすると、つけたままだった腕時計が目にとまった。・・・そうだ、和服着るなら時計もとったほうがいいかな・・・って。
「もうこんな時間!?」
 文字通り時間も忘れて着流しと格闘していたから、こんなに経っているのに気がつかなかった。やばい、アルや千絵子さんを待たせすぎだけど、それ以前にもう食事の時間だ。ああもうっ、これでいいや! さっさと見せて着替えさせてもらおう!
 慌てて廊下に飛び出して、早足で階段に向かう。帯だけはちゃんと巻いたはずなのに、歩くたびに着流しがずれてしまう。片手で裾をたくし上げ、もう片方の手で前をあわせる。あ、歩きにくい・・・・・・。
 もう少しで階段、というところで目の前の扉が開いた。驚いて立ち止っていると三笠さんが部屋から出てきたところで、僕を見てめずらしい顔をしている。というか、めずらしいものを見るような顔をしている・・・・・・。
「あ、あの、これにはわけがあって・・・」
 はだけてしまっている着流しを必死にかきよせながら、何故か自分が悪いことをしたような気になって慌てて弁明する。
「・・・何を手籠めにされたような格好でうろついているんだ、お前は」
「えっ!? て、手籠めって・・・違います! これはアルが・・・」
「アルノルトが?」
 思いっきり怪訝な顔をされてしまった。ち、違う、三笠さんが考えていることは絶対に違う!
「いえあの、アルと千絵子さんが! 着物を着ろって・・・!」
「中居か・・・、まああいつならわけのわからんことを提案しそうだな」
 そして哀れそうな目で僕のひどい格好をながめられる。穴があったら入りたい・・・・・・。
 三笠さんは一通り僕をながめ終わった後、溜息をついて階段へ向かってしまった。半ばその背中に隠れるようにして後をついていった。


「・・・アルー? 千絵子さん? 来たよー」
 三笠さんはそのまま食堂へ行ってしまったので、一人で応接室の前まで来た。もしかしたら二人とももう食堂に行っているかもしれないけど、さすがにこの格好で食堂に飛び込む勇気はない。
「アルー? 千絵子さんー? いるー?」
 もう一度静かにノックをする。できればこんなひどい姿は他の人には見せたくないので、自然と声も小さくなってしまう。ここにいなかったら一度部屋に戻って着替えてきちゃおう。食事の後でまたちゃんと着なおせばいいんだし。
「・・・いないのかな」
 かすかに話し声が聞こえるから二人ともいると思ったんだけど、別の部屋かな。一度辺りを見回してから、諦めて・・・ちょっとほっとしてドアを離れようとすると、廊下の向こうから三笠さんが来るのが見えた。
「あれ・・・さっき食堂に・・・」
「中居が忘れてたらしく、もう少し後のようだ。応接室で待ってろと言われてな」
「え・・・・・・?」
 三笠さんが少し笑っている。えっと、じゃあ、今この応接室の中には・・・・・・。
 僕が考えをまとめ終わる前に、目の前のドアノブがゆっくり回った。
「申し訳ございません。食事の支度が済むまでもうしばらくかかりますので、こちらで・・・」
 ドアを開けた執事さんが、僕の顔から下に視線を移し一瞬固まった。それでもすぐにいつもの調子に戻って僕と三笠さんを迎え入れてくれる。・・・でも、少し困っているような気がする。
 大きく開かれたドアの中では、本当になんでこんな時ばかり集まっているんだと思うけれど、千絵子さんとネリーさんとハユツクさん以外の全員が穏やかに談笑していた・・・んだろうな、さっきまで。
 そりゃあそうだよね・・・、暴漢に襲われたような格好の僕が何ごともなかったように談笑に加わりに来たんだから・・・・・・。
「あの・・・あ、僕、戻りますね」
 あまりの沈黙に耐えきれなくなって踵を返すと、真後ろに立っていた三笠さんにぶつかってしまった。助けを求めようと見上げると、不敵に笑いながら、
「邪魔だ、さっさと入れ」
と言われた。鬼だ。
「あ・・・尉之!!」
 三笠さんの一言で我に返ったらしく、意地悪な三笠さんを叱ってくれるのかクレア先生が大声をあげた。
「和に何をしたの!」
「ええ!?」
 クレア先生、血相を変えてるけど何か勘違いしてるんじゃ・・・・・・。
「・・・何を勘違いしてるんだ。これはアルノルトの仕業だ」
「伯爵はそのようなことはされません」
 それまで黙っていた執事さんが強い口調で反論した。いや、執事さんも絶対変な勘違いしてる・・・・・・。
「ディーター、確かにそれは僕が頼んだんだ」
「伯爵!!」
「あ、あのっ! 頼まれたっていうのは着物を着てくれってことで、こうなったのは僕が着るのが下手だっただけですからねっ!?」
 アルの発言じゃ何も訂正されてない。というか、余計に誤解される。
 めずらしく大きな声を出した執事さんも僕の言葉に納得してくれたようで、僕とアルに謝ってくれている。クレア先生もほっとしたようだ。・・・でもみんななんですぐにそういう誤解に行き着くんだろう。
「でも、和は着物が得意じゃなかったんだね。ごめん」
「あ、ううん。本当ならもうちょっとまともに着れるんだけど、日織のだと大きいからさ・・・・・・」
「それにしたってひでえだろ、それ」
 ザックさんも容赦ないな・・・。
「・・・一柳様、こちらへ」
 小さく溜息をついて、執事さんが部屋の隅に僕を呼んだ。なんだろう・・・・・・。
「少々、失礼します」
「わっ!」
 てきぱきと帯をとられて、着流しの前をはだけられてしまう。僕が下に下着しか着ていないことに気づいて目をそらしながら合わせを直してくれた。
「ティーロ、そういうのセクハラっていうんだぞ」
 や、やめてよ・・・。というか一応みんなには見えないようにしてくれてるけど、同じ室内にクレア先生もいるんだから僕のほうがセクハラなんじゃ・・・・・・。
 執事さんはそんなザックさんのからかいも聞こえないふりで、手早く着付けをすませてくれた。本当になんでもできるんだな、この人・・・・・・。
「あ、あの、ありがとうございます・・・・・・」
「いえ・・・・・・」
 裾の長さもぴったりだし、上半身の布も余りすぎていない。手だけは全部隠れちゃうけどこれは仕方がないもんな。
「おー、和、キモノだな。俺そういうのなんて言うか知ってるぞ」
 え? 着流しのことかな?
「そういうの、七五三って言うんだろ。前に尉之が言ってたぜ」
「・・・は?」
 何人かがふきだした。いやあの、それ、僕に言われてなければ僕もふきだしただろうけどさ。
 ・・・ぴったりすぎて泣きたくなってきた。
「な、なんだよ。褒めてんだぜ」
「ああ・・・はい。ありがとうございます・・・・・・」
 三笠さんを見ると肩を震わせて笑っていた。ザックさんにそれ褒め言葉じゃないって言う気力もない・・・・・・。
「・・・伯爵、そろそろ支度が終わるころと思いますので見てまいります」
 すっかり呆れた様子の執事さんが出て行った。アルのほうを見ると、ぼーっとしたように僕を見ている。
「・・・アル?」
 もう着替えてきてもいいか聞こうと名前を呼ぶと、我に返ったようで照れながら笑った。
「ああ、ごめん・・・。あのね、和」
「うん」
 アルが手で示すので、隣に座る。見上げるとやっぱり照れているようだった。どうしたんだろう?
「和は、とても可愛らしいと思うよ」
「・・・・・・え?」
 びっくりして聞き返すとアルは同意を求めるように周りを見る。三笠さんは何か不穏な空気を感じ取ったのか訝しそうな顔をしているし、ザックさんは何故か半笑いだ。クレア先生と教授だけがうなずいている。
「ええ。成人している男性にこんなことをいうのは失礼かもしれないけど、和は可愛いわよ」
「うむ。褒め言葉として愛らしいと思うぞ」
「ど、どうも・・・・・・?」
 どう反応していいかわからないでいると、またアルが僕に向き直る。
「さっき着物がうまく着れていなかったときも、ディーターに着なおさせてもらっているときも思ったんだけど、なんだか放っておけないね。そばにいないと不安っていう気持ちがわかるよ」
「確かに。一柳君は危なっかしいところがあるな」
 もううなずいているのは教授だけで、クレア先生もひきつった笑顔で首をかしげている。
「和、僕はたぶん・・・・・・」
 そ、それ以上言っちゃいけない気がする! でも僕が止めていいのかわからない。誰か、誰か止めてくれ・・・・・・!
ごめんなさいー!! ごはんの準備ようやくおわりましたー! って、あー! 和ちゃん! 着物着てるやん! 王子っ、これ見てどうですっ?」
「わー! 千絵子さん!!」
 アルの言葉を遮ってくれて一瞬ほっとしたけど全く安心できなかった。もっと危ない人が来ちゃったよ! ほ、他の人もいるのに、二人とも執事さんさえ聞いていなければ大丈夫だと思ってるだろっ!?
 千絵子さんを止めようと慌てて立ち上がると、思いっきり着流しの裾をふんずけてしまった。テーブルにぶつからないようになんとかよけると、ソファに座っていた教授の胸に激突してしまう。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
「何故今つまずいたのかね! まさか霊に足をとられたのではっ!」
「ち、違います! 裾を踏んじゃって・・・あっ、眼鏡がない!」
 教授にぶつかった拍子に眼鏡が外れてしまったようだ。どうしよう、どこだろう、眼鏡めがね・・・・・・。
「王子っ! 見ましたか!?」
 えっ、な、何かあったかな。眼鏡がないとわからないや・・・。
「今のがドジっ子です! しかも転んで眼鏡を落とすなんて基本にして最強ですよ! これがもしメイドならカップ割ったりカーテン燃やしたりしても許しちゃうでしょうっ!」
「な、何言ってるの千絵子さん!!」
 教授の膝の上にのっていた眼鏡をやっとの思いで見つけているうちに、千絵子さんが大変なことを言い終えていた。
「ドジ・・・っ子・・・・・・メイド・・・。うん・・・・・・、和、大学を卒業したらどうするかって、もう決めてるの?」
「なんでそんなこと聞くんだよ!?」
「王子大胆ですねー! もう和ちゃんも永久就職しちゃえばええのにー」
「永久・・・就職?」
 わー! また変なこと教えてるー!! こ、こんな話してるの執事さんにばれたら、もうごまかしようがないじゃないか! しかもなんで僕が基準なんだよ! 僕は何も教えてないのにっ!
「うん・・・ずっと本邸で働いてほしいな。本気で連れて帰りたくなってきたよ。これをもえって言うんだろう?」
 空気が凍ったのがわかった。さすがの千絵子さんも異変に気付いたようで、あたふたし始めている。
「あ、あのー、王子・・・?」
「・・・そうそう、さっきも言おうと思ったんだけどね」
「な、なに?」
 ものすごく嫌な予感がして、つい素直に聞き返してしまった。ここで止めるべきだったのに。
「僕はね」
「失礼します、食事の支度が整いました」
「和もえだと思うんだ」
 凍っていた空気が、明らかに肌に突き刺さった。恐ろしくてドアのほうを見ることができない。ドアの前に立っていた千絵子さんは大丈夫だろうか・・・なんて心配してる場合じゃない。だいたい千絵子さんがこんな話を始めて、食事に呼びに来たのにいつまでも戻らなくて、その、うん。
「むう。その、もえ、というのはいったいなんだね?」
 いつもと変わらない調子で言う教授が、まるで水の中で息ができるかのような、不思議な存在に思えた。
「あ、ディーター、食事できたんだね。さあ、みんなも行こう。おなか空いちゃったね」
 少し気まずそうに言いながらアルが立ち上がる。続いて三笠さんが気を取り直したようで、頭痛に耐えるように頭を押さえながらドアに向かった。
「おい、ディートリヒ」
 後ろを振り向けずにドアの前に立ち尽くす千絵子さんを押しのけて、ドアの向こうに無表情に立っている執事さんの肩をたたく。三笠さんは鬼じゃなくて神かもしれない。
 執事さんは顔色を変えずに横によけた。
「きゃあああああああーっ!! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいいいっ!!」
 それを待っていたかのように、千絵子さんが猛スピードで部屋を飛び出して、・・・いや、逃げて行った。
 執事さんが仕方ない、といった様子で溜息をつく。みんなそれにほっとしたのか、順々に部屋を出て行った。僕も胸をなでおろす。そんなに怒らなかったな・・・、怯えて損した。
 アルと僕が最後になり、まだドアのそばに立ったままでいる執事さんの前を横切るアルに続いた。
「あ、僕着替えてから行く・・・ね・・・・・・」
 応接室から出ようとする僕の腕を、だぶだぶの着流しごしに何かがつかんだ。
 あは、は・・・・・・今ばかりは、幽霊であったほうがいいと思った。
 恐る恐る振り返ると、僕の腕をつかんだ執事さんが見たことのないような笑顔で、
「お着替え、お手伝いしましょう」
 ・・・断れるわけがなかった。
「少々お待ちください。チエコの隠れている場所もおおよそ見当はつきますので」
 そう言って執事さんは丁寧に礼をして、ゆったりとした足取りでどこかへ行ってしまった。
 隣で目をそらし続けているアルを見る。ようやく僕と目が合うと、観念したように苦笑いした。
「・・・もちろん、僕も一緒に行くよ。僕のせいみたいなものだしね。ディーターが何をあそこまで怒るのかわからないけど、和のことは・・・あ、そうだ」
 もう何を言う気力もない・・・・・・。
「こういうときに使うんだよね。・・・和たんのことは、あまり責めないよう言っておくよ」
 
・・・だから! それが! いけないんだってばああああ!!
 心の中で大いにつっこんで、こっそり目の端をぬぐった。










メニューに戻る