あめ



 今日は朝から雨で、俺は絶対に外に出ないと決めた。誓った。確固たる意志だった。俺は雨が嫌いなのだ。服は濡れるし髪は広がるし俺の大嫌いな両生類たちは頻発するし!
 なにより、雨の断続的な音は俺の精神状態を乱す。・・・だというのに。
初一よ! お買い物の途中で雨が降ってきました。傘を持って迎えに来てください
 兄からのメールです。・・・・・・・・・。
 雨にうたれろ。むしろ撃たれろっ。風邪をひけっ! 俺が雨を嫌いだということを知っているくせに!

「わーい、初一だー」
「初一だー、じゃないですよっ! 何がお買い物の途中で雨が降ってきましたですかっ。今日は朝から雨降りだったでしょうっ?」
「・・・そうだったか?」
「あーあー、びしょ濡れじゃないですか! 俺が傘を持ってくる必要なんてないくらいに・・・。あんたは風邪をひかない例のアレですよっ」
今頃雨が降っていることに気づいた兄さんに、もう怒る気も失せた。生きる気も失せましたよ、本当・・・。
「よし! 初一、帰るぞっ」
「はいはい・・・」
 俺の持ってきた傘をさして、兄さんは歩き出した。俺もその後に続く。
「・・・兄さん、ズボンの裾、泥がはねてます。長靴を買わないといけないかな」
「ふっふっふ・・・」
「なんですか。変な笑い方をして。ついに本格的に気でもふれましたか?」
「違う。・・・そろそろ梅雨だと思って、今日は長靴を買っていたのだ! 初一の分も、きちんと買ってあるからな! 兄さんとおそろいだっ」
 何でいい歳した兄弟が、おそろいの長靴をはかなければならないのだ。・・・しかもゴム長靴! 兄さんは青。俺は黄色っ? 憤死。
「・・・ありがとうございます」
 どうして、傘は買わなかったんだろう・・・。いや、聞くときっと殴りたくなるから、俺は聞かない。あえて聞かない。俺はもう・・・、大人だからさ・・・・・・。握った拳は硬いがね・・・。
 兄さんの荷物を半分持って、ゆっくりと家へ向かう。
「初一は、雨の日は必ず下を向いて歩くな」
「いつどこにぬるぬるげろげろした奴らが転がっているかわかりませんからね・・・。兄さんもミミズとか踏まないでくださいよ」
「あ、踏んだ」
「ぎゃーっ! 俺はもうあんたと兄弟の縁を切りますっ! 初めまして、千里さんっ」
 ミミズは俺の嫌いな両生類ベストスリーに入る生き物だ。それを踏んだ兄さんを人間とは認めない。前から人間とは認められなくて葛藤していたのだけれど、今ここで認めることができた。
「いやいやいや。私が踏んだのはミミズではなく犬の××だ」
「なんだ・・・、ってそれも最低ですっ!」
 でもまあ、ミミズよりはましだったので、兄さんの隣に戻り、並んで歩く。あ、歩調が同じだ。こういうところが兄弟なんだな・・・。気落ちする。
「この雨が全部バター飴だったらなあ」
「・・・晴れたらべたべたして気持ち悪いですよ」
「溶ける前に私が全部食べる」
「拾い食いはするなって、あれほど言ったじゃないですかっ! お腹壊したって看病してあげませんからね!」
 こうやって並んで歩くと、小さい頃を思い出す。あの頃より俺は形が大きくなって、あの頃より兄さんは頼りがいがなくなり、さらにいっそうバター飴を愛するようになった。
 あの頃の兄さんは、俺の世界の全てだった。あれほど輝いている人を、俺は知らなかった。ただの気のせいだったが。いや、俺が世間知らずだっただけだよ。無知とは恐ろしい。
 やっぱり、雨は嫌いだ。俺の大好きだった兄さんを返せ。あの頃を思い出させないでほしい。

 ―雨。いつかの兄さんが、雨上がりの匂いが好きだと言っていた。
 あんな金魚の水槽のようなにおいが好きだなんて、やっぱり兄さんはおかしいと思う。





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